日本人として一度は行くべき場所。フジヤマを制覇してきた。
(2003年7月19~20日)
[第1章]なぜ富士山に登りたかったのだろう。
なぜ富士山に登りたいと思ったのか。
そう聞かれても、明確には答えられない。
(日本一高い山だから?)
半分は合っているが、半分は違う。
「富士山に登るんです」と言うと、周りの人は「どうしてですか?」とか「山登りが好きなんですね」とは言わない。
大抵の人は「いいですね」「私も登りたい」と言う。
もしまだ台湾が日本の領土で、ニイタカヤマ(玉山)が日本の最高峰であったなら、果たして僕は登っただろうか。
もし僕がアメリカ人だったなら、アメリカ本土の最高峰、Mt.ホイットニーに登りたいと思っただろうか。
ニイタカヤマやMt.ホイットニーに登るんですと言って、大抵の人が「私も登りたい」と言っただろうか。
そう考えると、富士山という山は日本人にとって、“特別なもの”であり、“富士山に登る”という行為は、日本人の中に、単なる登山というものを越えた、なにか“特別なこと”という意識が根付いているような気がする。
なぜ富士山に登りたいと思ったのか。明確には答えられないが、なんとなく“日本人だから”あるいは“それが富士山だから”という答えがもっとも近いような気がする。
富士山登山は五合目から始まる。
五合目に到着する同時に、僕はふと、一昨年のGWのことが頭によぎった。
会社のスタッフたちと、江田島海軍兵学校見学の帰りに、F15(イーグル戦闘機)の爆音をぜひ一度この耳で聞いてみたい!ということで行った岩国基地(米軍基地)の航空祭での話だ。
自衛隊系イベントとしては割と盛大なこの航空祭には、全国各地から人が集まる。よく覚えていないが、確か10万人ほどは来場してたと思う。
10万もの人間が、一度に集まるとどうなるか?
トイレが足りなくなるのである。
簡易トイレがたくさん出来ていたが、そんなモノで10万もの人間の用が足せる訳がない。
昼前には早くも長蛇の列になっていた。
僕は元来、お腹が弱い。
そして旅行に行くとさらに弱くなる。
そしてとうとう来てしまったのである。
大きな声では言えないが、大きい方だ。
簡易トイレ一台につき、約50名は並んでいる。
とにかく並ばないと話にならないので、しばらく並んでいたが、どうにもこうにも時間が足りない。
この調子だとトイレにたどり着けるまで、早くて30分は掛かる。
しかし、僕の体内時計によると、もって10分だ。
これは気合いでどうにかなる数字ではない。
物理科学的に不可能である。
僕は生きた心地がしなかった。
“お漏らし”なんてことになったら冗談ではすまない。
小さい方ならなんとか誤魔化すことが出来そうだが、大である。
きっと周囲にも臭いは漂うに違いない。
しかも、雰囲気から言うと、下痢気味なのだ。
ということは、足を辿ってきっと「ズボンの下から、こんにちは」ということになるはずだ。
そんな状態で、うちの社員にどんな顔して会えばいいのだ。
会社では、上司としての威厳も必要だ。
しかし、(エラそうなこと言って、お漏らししたくせに)なんて思われるに決まっている。
普段ポジティブシンキングを心掛ける僕も、さすがにド級のネガティブシンキングのルーピング現象に陥っていた。
社員に見捨てられ、すっかり自信を喪失してしまった僕は、仕事にも力が入らず、その結果、仕事も段々減っていき、首が回らなくなったあげくには、会社を畳むことになり、いたたまれなくなった僕は、愛着のある神戸をあとにして知らない街へ引っ越して、そこでひっそりと余生を暮らす。
あぁ、一体僕は、誰を恨めばいいのだぁ!
それか、いっそのことこの家族連れで賑わう、この基地のど真ん中で、ケツをおっぴろげてヤルか?
それならば、恥は一時で済む。漏らせば一生ついて回る。
注意1秒、ケガ一生だ。どうする?ヤルか!出すか!
僕はその時、まさに人生最大の岐路に立たされていたのだ。
その時である。
なんの根拠も理由もなかったのに、長蛇の列から離れて、一直線にある建物の方に向かって、勝手に足が動きだしたのだ。
何かに導かれるように。
そして、歩くこと10分弱。意味なく目指した建物に到着した。
すでにお尻はカウントダウンに入っている。
そして、建物の入り口に居た白人男性に、僕は顔面蒼白になった顔で、振り絞るように言った。
「プリーズ、トイレ・・・・」
岩国基地(米軍基地)の航空祭で見たF-15の爆音は、まるで空気が破れるような破壊的な音だった。
僕はその爆音の下で、トイレを探し求めて、さまよい歩いていたのであった。
まさに、ドラゴン危機一髪であった。
1秒と違わずのジャストオンタイムだったのだ。
僕は九死に一生を得た。
神が僕を導いてくれたのだ。
しかし、もし間に合わなかったら?と考えると背筋がゾッとした。
社員たちの前で、一生立ち直れない赤っ恥をかくところだった。
会社を畳む羽目になっていた。
誰も知らない街に引っ越す羽目に陥っている所だった。
仕事も新たに見つけなければいけない所だった。
ここは王道に、住み込みのパチンコ屋か、人里離れた民宿で配膳係でもやらないといけない所だった。
(もうこんな思いしたくない!)
僕はこの時から、トイレのない場所にトラウマが出来たのだった。
去年の秋頃に行った釣りの時も、怖い目にあった。釣り船に乗ったら5時間は戻ってこれない。
もう僕はそれを聞いただけで、冷や汗が出てきていた。
案の定、釣り船が出た瞬間に催してきた。船頭さんに相談すると、
「そりゃ、船の上からケツ出してやってもらわんといけんべ」
とりつくしまもない。
そしてとうとう僕は、健兄さんや杉や、若社長の前でケツをおっぴろげて・・・。
お陰様でスッキリ。
という訳には残念ながらならず、その時も、結局は事無きを得たのだった。
しかし、それからトラウマは完全に僕のものとなったのだった。
岩国の航空祭の後日談だが、聞くところによれば僕と同じような境遇に立たされていた人が他にも居たらしい。
彼は、僕とは全く別の作戦を企画し遂行したらしい。
どんな作戦かと言うと、並んでいる簡易トイレに特攻攻撃をするという、
いわば人間爆弾的な作戦だ。
つまり、早い話が割り込みですな。
並んでいる人たちを押しのけ、前の人が簡易トイレから出てきた瞬間に有無を言わせず割り込み、用を足してしまうというヤツです。
しかし、彼の心境は痛いほど僕には理解できる。
割り込みは悪いことだが、それによって彼の人格は保たれ、愛着のある街を離れなくて済む訳だから、ここは大きな気持ちで許してやって欲しいところだ。
ただ、一つ頂けないことをしたらしい。
彼は本当にせっぱ詰まっていたんだろう。
周りが見えなかったのだろう。
特攻を仕掛けて入った簡易トイレは、男性の小用だったのだ。
しかし、もはや、お尻がテンカウントを数える彼は、やむなく小用の便器にお尻を突っ込み、ヤッてしまった。
さすがにそれでは、後の人が困るというものだ。
富士の存在は、我々日本人にとって“特別なもの”だ。しかしトイレは大事だ。
富士山登山の途中は、もちろんトイレが無い。
合間合間の休憩所にはあるものの、そうカンタンに用を足すということは出来ない。
有料だし。
そういう訳で僕はまたしても恐怖心が沸き起こってきたのだった。
幽霊や怖い話、お化け屋敷などはまったく大丈夫なのだが、ゴキブリとトイレのない場所だけは、耐えられない。
怖い話で思い出したが、さっきのタクシーの運転手が、自殺の名所である樹海に死に場所を求めてやってくる人は結構多いと言っていたな。
その運転手さんも、それらしき人を何度も乗せたことがあると言っていた。
何でも、自殺する人は、樹海の奥深くで首を吊ることは稀で、遠くてもクルマの通る道路から50mほどの場所で吊るらしい。
考えるに、死んだ後は早く誰かに発見されたいらしいから。
また、死に場所近くの木やガードレールに、タオルなどを巻いて目印にする人も多いらしい。
要するに、ココで死んでますよ、ということだ。つ
まり、どんなに世の中がイヤになって死を選ばざろうえなかった人でも、死んだ証というか生きた証だけは、この世に残していたいということだろう。
五合目は思ったより空気が薄く、何だかすでに息苦しかった。
僕はトイレのない状況と、すでに息苦しい状態で、逃げ出したい気分だった。
誰だ!富士山なんて登ろうと言ったヤツは!おぬし名を名乗れ!という心境だった。
しかし、言い出しっぺはまぎれもなくこの僕だった。
逃げ出す訳にはいかない。
僕はやむなく、ポケットにティッシュを山盛り詰め込んで、もしもの時のために備えた。